夜空の青を微分せよ

読書感想文、映画感想文、その他、観たり聞いたりしたものの感想を書いています。

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ずっと使っていたパソコンが壊れて、サブのノートパソコンを使ってみたんだけど全然だめ。変化の速度がめちゃくちゃ遅くて使用に耐えない。これだったら音声入力でスマートフォンから入れるほうが早いんではないかと思って入力してみてる。
新しいパソコンが欲しいけれども買う余裕がない。金銭的な余裕。欲しいものや必要なものがたくさんあるけれども、それよりも先に嫁が自分のものを買ってしまう。
必要なものが必要な分だけ揃わないと、何かをすることもできないんだけれども、それで何も成果物が出ないので、必要がないと言うことで斬られてしまう。
時間もないし何かをする体力もない。
本当に削れてる。日常で楽しいことが何もない。夢も希望もない本当に夢も希望もない辛い辛い。

物語を書きたかった、ずっと人生そのためだけにいきてた。いろいろともうだめだ。生きながら死んでいる気がする。つらい。

いつの間にかあえなくなってしまった人たち。インターネットで死んだ人たち。

今週のお題「会いたい人」

インターネットで昔からの知り合いだった人がいつの間にかいなくなってしまっている。インターネットでやりとりをするだけで現実では会ったことない人たち、でも一緒にいて一緒の空間で一緒の時間を過ごして仲間だと、友達だと思ってた。現実世界でなくなった人たちもいるけれども、それ以外でも、子供が生まれたり会社を起こしたり、失業したり、両親の介護をしたり、日子守になったり、それぞれの歳を重ねる中で社会への占める位置やクラスタが変わって、20年前は、同じように考えていた人間が全く別の思想を持つようになってしまっている。
高校や大学の同窓会のようなものなのかもしれない。時間が経つことによって、同じ時間を過ごした人間の距離が離れていく。ただ高校へ大学の同窓会は普段合わないから、あー距離が離れたんだなと思うけれども、インターネットのそーゆー知り合いはお互いにまだTwitterやブログをしていてでも言ってることや考えてる事は当時とは全く変わってしまっている。それは自分が変わったのかもしれないし相手が変わったのかもしれない、ただもうあの頃には戻れないんだなと言う気持ちがある。あの頃は楽しかったなぁ、

いつの間にかあえなくなってしまった人たち。インターネットで死んだ人たち。

今週のお題「会いたい人」

インターネットで昔からの知り合いだった人がいつの間にかいなくなってしまっている。インターネットでやりとりをするだけで現実では会ったことない人たち、でも一緒にいて一緒の空間で一緒の時間を過ごして仲間だと、友達だと思ってた。現実世界でなくなった人たちもいるけれども、それ以外でも、子供が生まれたり会社を起こしたり、失業したり、両親の介護をしたり、日子守になったり、それぞれの歳を重ねる中で社会への占める位置やクラスタが変わって、20年前は、同じように考えていた人間が全く別の思想を持つようになってしまっている。
高校や大学の同窓会のようなものなのかもしれない。時間が経つことによって、同じ時間を過ごした人間の距離が離れていく。ただ高校へ大学の同窓会は普段合わないから、あー距離が離れたんだなと思うけれども、インターネットのそーゆー知り合いはお互いにまだTwitterやブログをしていてでも言ってることや考えてる事は当時とは全く変わってしまっている。それは自分が変わったのかもしれないし相手が変わったのかもしれない、ただもうあの頃には戻れないんだなと言う気持ちがある。あの頃は楽しかったなぁ、

ちょっと元気が出ない毎日。

季節の変わり目と言うこともあって、ここ数日元気が出ない。あとコロナでヒキコモっていると言うこともある。家族全員で家にいるので1人になれる時間がないし、次男が家の中を散らかしてそれを片付けないといけないので、それの追い回してずっと時間をとられている。(最近はちょっとそれをする体力もなくて、部屋が散らかるにまかせてる)一応ご飯をちゃんと作ろうとしているけれども、で実際作っているけれども、気軽に買い物に行けなくなったせいで(近所のスーパーマーケットは入場制限をしていて、買い物に行って帰るのも一苦労だし、外に出て帰ってきたら必ずお風呂に入るようにしているので外出のハードルがめちゃくちゃ上がっている)なんていうか、ご飯を作るのも億劫だし、いろいろな日常コストが上がっている。大体ゴールデンウィークに入る前あたりから、スーパーマーケットやその他の店頭のお店のレジのところに仕切りがつくようになった。ビニールで作ってあったり、プラ板だったりと素材はバラバラ。ゴールデンウィークの中頃から、マスクの外に飛散防止の頭からつける透明なガードをみんながつけるようになって、それは市販品だったり、自作のものだったりいろいろだけれども、とにかく、そーゆーカードがどんどん上がっていっている。意識が高くなっていっている。その分なんとなく気疲れすることがすごく多い。
感染者自身の数はニュースとか見ると横ばいで、この1ヵ月くらいずっと自粛しているけれども(3月から考えるともう2ヶ月)感染者の数というのは、若干増えていると言う感じで、自粛を解くような状況にはないと思う、素人判断だけど。そんな感じで自粛はまだまだ続きそうだけれども、いつまで続くのかわからない。政府は自粛解除の基準を示さない。今後専門家と相談して決めると言っている。普通に考えると、病院の体勢が整って、感染者が増えても大丈夫な状況になるか、ほとんど全員がかかってしまって、これ以上感染者が増えない状態になるか、もしくは自粛をしていても完全に崩壊してしまって自粛をする意味がなくなってしまうかの三択なんだけれども、病院に対する積極的な働きかけもないみたいだし、多分何も考えずに状況処理してるんだと思う。本当に良くない。
子供の、家での学習は調子がよろしくなく、ずっと家にヒキコモってるのと、本人がコロナを怖がっているので、メンタルの調子がよくなくてちょっと目蓋にチックが出ている。勉強よりも子供のメンタル系を優先させないといけない感じ。
下の子は、幼稚園の療育園に通っているんだけれども、そちらも短縮で週に2回とか。それでもしてくれる分だけありがたい。最近少しずつ言葉が出るようになってきて、ちょっとした指示も通るようになった。好き勝手にして部屋を散らかし放題だけれども。
下の子がいろいろなことに勝手に手を出して、どこかにやってしまったりするので、上の子の勉強道具や荷物を隔離する必要があって新しい部屋を作ってあげないといけないけれども、3 LDKの小さな家ではどうしようもない。こんなに家にこもる予定ではなかったので、ちょこちょこと工夫しながらできる予定だったんだけれども、ずっと家にこもるには3 LDKのマンションは小さすぎる。DIYで間仕切りを作ろうと思っても、今ホームセンターが木材加工してくれてなくて、そこら辺の作業ができないし、そもそも部屋を片付けると言うことさえできてない。
ヨメがいろいろな家で過ごすための道具を買ってきている。ポップコーンメーカーとか、室内用のテントとか。人生を楽しむことが好きな人間なので、こういう時助かっている。自分はそういう風に生活を楽しむと言うことができないので、子供と一緒にそういうことをして楽しめる人間は凄いと思う。
猫も最近、このずっと人間がいる状況に慣れてきたみたいである程度人間の側に近寄ってきたり昼間もずっと人間のそばにいたりする。自粛始まったすぐの時は、人間が多いのがストレスなのか、ずっと奥の部屋にヒキコモっていたので。
本を読んだり映画を見たりとか、そんなふうにして部屋で優雅に時間を過ごせるのはある程度環境が整っている人間だけで、狭い家で、子供と暮らしている人間は、そうもいかなくて、仕事もしないといけないし子供の面倒も見ないといけない、仕事をするために家族で場所を切り分け方にも切り分けるための場所がない、仕事の効率がとても悪いしそれでも何とかやっていかないといけない。みんなそんなには言わないけれども結構限界なんだと思う。

もう少しで仕事ができそうな感じだけれども

何もあと1行たりなくて集中できない。なんとゆうかちょっと工夫、人と会って話をしたりどうでも良い話をしたりして充電したい創作の話がしたい。



この世界の片隅で、を読んだ。映画ではなくて漫画の方。こうの史代さんの本は今まで結構読んでいて、ただ、この世界の片隅で、未読だった。で読んでみての感想。戦争映画とか戦中の話とかいろいろそのような評判を聞いていたけれども普通だった。普通のこうのさんのマンガだった。



こうのさんの漫画で、こっこさん、というお話と、長い道、という話が好きでそしてその好きな部分がそのまま入ってる感じ話だった。よさ、というものは、真綿で締めるような、優しい真綿に包まれながら窒息していくようなでも自分が真綿のような、そんな、生活と貧乏と、何かゆっくりしたもの。そういうのに囲まれた中での緊張と緩和の生活。そして、独特の視点から描かれる風景と空気。それが、こうの作品の良さで、で、それがとても良かったのだけれども、だからなんていうかやっぱり世間の受け入れられ方と言うものが自分には違和感&ちょっと嫌な感じ。



もっと、ただただ、純粋な日常部分、そういうところの話をただそういうものとして受け止められればなぁみたいな。



戦争を含む日常というのは、日常では無いのか。戦争の中で生きているという事は日常ではないのかもしれない。少なくともそう認識されないのかも。戦争が起こっている時期の話と言うだけでテーマ性を待つされてしまうよなぁって思う。同じように地震が起こった友達じゃ、地震が起きて避難している最中の人間そのようなものも非日常でありテーマを思ってしまうんだろう。他にもいじめにあっていたりレズビアンだったり形でやったり、うつ病の闘病記であったり、他の病気であったり、手足がなかったり、そのような普通の人と違う人間の普通の日常と言うものは、それだけでテーマ性思ってしまうのだと思う

とりとめのない日記など

なんだか誰かとどうでもいいような話をしたいけれども、話す人もいないし、ちょっとなんかいろいろ、人と話せるようなこともないのでここにとりとめもなくいろんなことを書き記していきます。今仕事中です仕事中ですけれどもなんだかうまく集中ができなくてこうして文章を打っています。お金もなく稼がないといけないので、がんばらないといけないのですが、クリエータ業というか、文章を書く仕事、で、あるために、どうにも自分のメンタルのコンディションがちゃんと仕上がらないと仕事にうつらないと言う問題があります。弱った。


家族がいて、家族と暮らしているのだけれども、人と一緒に生活すると言う事はそれだけで疲弊をする。精神が摩耗をすると言う事では無いのだけれども、人と合わせて笑ったり、話をしたり、相手の感情と膝を突き合わせていると言う事はそれだけで、自分の中の見つめるべきものが雲散霧消していく。自分の中に溜まっている澱を、外に出すことなく、中でため込むこともなく何かよくわからないとどこかに消えていってしまう。人と生活するのが忙しい。自分以外の多分普通の人間は、このように人と生活して話をしたり一緒に寝たりご飯を食べたりそういうことに対していちいち疲れたり、それによって自分のエネルギーを使ったりがしないのだろうけれども、どうにも自分はそーゆー普通の人間ではないらしく、一緒にいるだけで自分の中のエネルギーがなくなってしまう。仕事などもできない。


ただ仕事をしないといけないし、そして自分は、いろいろとこのような普通に生きていくのに不自由な精神と精神の構造の持ち主なので、どうにも普通のサラリーマンや労働者のように働いていくことができない、以前働いていたのだけれども体と心をぐずぐずに病んでしまって、それが何とかまともに動くようになるのにもう何年もかかってしまった。そのようなおかげで自分に出来る仕事と言うのはこうして文章書いたりそれに準ずるような何かものを想像する、作り上げるそのような仕事しかないのだと思う。


まあ、もうからないですけれども。


そんなこんなで、ものを作らなければならない、だけれども作るような精神状態になれない、精神とそして体のものを作るコンディションにもっていくことができない。生活をしながらものを作ることができない。なので仕事をしようと思うと、日常から離れて、何日も別の場所にこもることになる。こもり初めて最初後はただただ休む。日常の生活を送る上で疲弊してしまった体や心の部分を、とりあえず休める、休んである程度まで回復させる。ある程度まで回復してきたら、頭が勝手にものを考えるようになる。というよりもちゃんと休んで回復させないと頭でものを考えることや物事がどうなっているのかを判断すること、映画や小説漫画などの物語を見て感情が動くと言う事、そういうことさえまともにできないのだった。



感情が動くようになると、頭が勝手に物語を作り出す、物語だけではなくていろいろな創作物。生活の中で押し込めていた感情がよくわからない澱のようなものが、解凍され、次々に形をなしていく。感情が動かない状態だと仕事ができない。だからまず第一段階はクリアだけれども、この頭の中でガラガラと溢れるよくわからない不協和音を整理しないと、仕事のようなある特定の方向性を持ち構造を持ちそして依頼者がいてその依頼者の要求を満たすそのようなものは作れない。なのでまず、その不協和音をどうにかしないといけない。頭の中に沸きだしたいろいろなものに、名前をつけてやる。この名前をつけると言うのは比喩で、とりあえずそれを物語やら絵やら、企画書やら本当に何でもないただの日記やら、そのようなもので吐き出してやるということだ。そうするとその怪物みたいにギャーギャーとわめいていた何か名前のないよくわからない生き物が死んで箱詰めにされた魚みたいにおとなしくなる。



それでようやく、依頼されている仕事の仕事自身に取り掛かることができる。



ここまでの手続きを踏まないと、仕事をできるようにならない。本当に厄介な性質だと思う。自分1人だけで生活できるようになったら、また状況は変わってくるのだろうけれども。